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学情レポート【COMPASS】2013.09

「大卒採用に関する取り決め」の歴史を紐解く
 ~協定、就職協定、倫理憲章、そして指針への変遷~

2013年4月19日、安倍晋三首相は日本経済団体連合会(以下「経団連」と表記)、経済同友会、日本商工会議所の各代表と会談、就職活動の解禁時期を「採用広報は大学3年生の3月から、そして採用選考は4年生の8月から」にそれぞれ後ろ倒しするよう要請した。これに対し米倉弘昌経団連会長は、7月8日の記者会見において「採用選考活動の開始時期を現大学2年生(2016年卒学生)より上記スケジュールに変更する」旨を発表した。合わせて企業の自主的ルールとして定めていた「倫理憲章」も「指針」に名称変更する予定だ。賛同企業だけでなく全会員企業に協力を要請、運用していく意向である。
この採用に関する新たな取り決めは企業・大学関係者・学生の間で様々な波紋を呼んでいる。現時点でこの取り決めの是非を判断することは難しいが、過去には採用活動に関するどのようなルールが制定され、また変更されてきたのであろうか。
今号では日本の大卒採用の歴史を紐解きながら、紆余曲折の道を辿ってきた「大卒採用に関する取り決め」について改めて整理する。

20世紀前半/戦前に誕生していた「協定」と「早期化」の動き

日清戦争(1894~95年)を発端に対外戦争が激化すると海外事業を拡大する企業が増え始め、旧財閥系企業を中心に大卒学生の大量採用が広がりを見せるようになった。この流れは20世紀に入って大卒学生の定期採用が一般化することに繋がる。この時代の採用スケジュールは、第一次世界大戦(1914~18年)までは卒業試験が終わってから入社試験が行われていたが、戦後恐慌で就職難(買い手市場)になると、選抜試験が慣行化され、優秀学生確保に向け選抜試験開始日が年々早期化していった。
1920年代後半には卒業年度の11~12月には選抜試験が行われるようになった。そこで1928年には大手銀行呼びかけによる、大手企業・大学関係者・文部省(当時)らが集った会議にて、大卒学生の採用選考時期は「卒業後」とするという「協定」が結ばれ、1929年3月卒学生から適用された。これが就職協定の起源である。
「協定」合意は18社、申し合わせは34社と少数ではあったが、「協定」に同意しない企業についても選考開始を遅らせるなど影響力を持つものであった。しかし翌年以降、協定非加盟企業はおろか、加盟企業の抜け駆けも目立ち始め、1932年卒学生には「選考開始は卒業年度の1月15日以降」と規定が緩められた。しかし「協定」破りは留まらず、1935年に「協定」はついに破棄され、採用選考時期の決定は各社に委ねられることとなった。

ほんの一時ではあるものの、日本において新卒学生の選考開始を「卒業後」と規定した時期があったことは、現在の新卒採用スケジュールを考えれば驚くべきことである。しかし当時から早期化に乗り出す動きが存在し、またその流れは現在へと受け継がれている。

 1953年~/「就職協定」のスタートから廃止まで

戦後の日本において40年以上に亘り採用活動の根底にあったものが「就職協定」である。その成り立ちから廃止にいたるまでにはどのような経緯があったのであろうか。

1952年時点で企業の採用選考は卒業年度の10月頃に行われており、早期化が進行する一方であった。「学業の妨げとなる」としてこの状況に異を唱えた文部省・労働省(当時)は都道府県知事、国公私立大学長、民間団体代表に「採用選考は1月以降に実施」するよう通達を出した。しかし優秀な学生確保の動きは衰えず、この通達は看過ごされる形となった。
そこで1953年に文部省・労働省は大学団体および日経連(=日本経営者団体連盟。現在の経団連の前身団体の一つ)を招集、「就職問題懇談会」を開き「学校推薦開始を卒業年度の10月1日以降とする」ことが取り決められた。これが世間一般で「就職協定」と呼ばれるものの始まりである。
その後1960年前後には高度経済成長が加速、「売り手市場」が台頭すると企業間の採用熱は一層高まり、1960年代初めには協定破りが横行した。俗に言う「青田買い」である。10月選考開始のはずが大手企業の多くが7月末には採用活動を終えるような状況となった。

その後早期化はよりいっそう進行、1960年代中盤から後半には現在と同じく大学3年生の2~3月には内定出しが行われるまでになっている(この状況は「早苗買い」「種モミ買い」と言われた)。こうした状況下において、1973年には「卒業年度の5月1日に会社訪問解禁、7月1日採用選考解禁」とする新たな協定が制定された。

しかし同年のオイルショックの影響で内定取り消しが続発する事態が起きた。内定取り消しの一因として「内定出しから入社までの期間が長すぎること」が取りざたされ、1976年には先の協定のスケジュールを後ろ倒しにする「10月1日会社訪問解禁、11月1日採用選考解禁」という新しい協定に変更された。1978年には協定違反に対する「注意」「勧告」「社名公表」などの制裁措置が設けられることとなったが、それでも協定破りは留まりを見せなかった。
その後も協定内容は改定されていき、1986年には「8月20日会社訪問解禁、11月1日内定解禁」、1989年には「8月20日会社訪問解禁、10月1日内定解禁」、1991年には「8月1日会社訪問解禁、10月1日内定解禁」と早期化の状況を是認するように改定が繰り返されていった。最終的に「8月1日前後に選考開始、10月1日内定解禁」と改定されたものの、日経連はこれ以上の継続は難しいと判断、1996年12月、「就職協定廃止」に関する通達を出し、協議の末、1997年に廃止へと至っている。

1997年~/「倫理憲章」制定後の流れ

「就職協定」が廃止された1997年、日経連を中心とする企業側は「新規学卒者採用・選考に関する企業の倫理憲章」を、大学及び高等専門学校側は「大学及び高等専門学校卒業予定者に係る就職事務について(申合せ)」を定めた。企業側の「倫理憲章」では就職情報の公開・採用内定開始は10月1日とすること、学事日程の尊重等が定められている。一方大学及び高等専門学校側の「申合せ」では、大学等での企業説明会や学校推薦は7月1日以降を原則とし、正式内定日は10月1日以降である旨学生に徹底すること等が定められ、双方がそれぞれ「倫理憲章」及び「申合せ」の尊重に努めることが合意された。これが「倫理憲章」の始まりである。
ただし、選考開始時期の具体的な取り決めは無いに等しく、平成不況による厳選採用も相まって就職活動の早期化と長期化はさらに進展することとなった。この状況に対し大学側は早期化自粛を要請、2002年卒学生に対する「倫理憲章」より「採用選考活動の早期開始は自粛し、特に卒業学年に達しない学生に対して実質的な選考活動を行うことは厳に慎むこと」という一文が加えられた。しかし事実上の拘束力はほとんどなく、遵守するかどうかは企業の自己責任に委ねられていた。

この状況に幾分の変化を生じさせたのが2003年10月21日付で経団連より発表された「倫理憲章」である。それは「倫理憲章」の賛同書に経営者名でサインを求めるものであった。当初は各社とも他社の動向を見ながらサインするか否か様子を伺っていたが、結果的に当時の経団連加盟企業1,280社の半数である644社が署名を行い、この拘束力の高められた「倫理憲章」は2005年3月卒学生より適用されることとなった。
前年までは金融等の大手企業においても3月中の内々定出しが行われていたが、これに伴い4月1日以降の選考・内々定出しとなり、早期化に一定の歯止めが掛けられることとなった。ただし、4月1日以前にも水面下においてリクルーターを通したアプローチはなされており、採用したい層に対して4月に入った直後に内々定を出すための準備が進められていたのが現実と言える。いずれにしても、この年の「倫理憲章」が現在の「選考開始スケジュール」の原型であり、2015年卒採用まで続いていくことになる。

2011年~/2013年卒学生より採用広報スタート2か月後ろ倒し

ここまでの「倫理憲章」のルールでは、「卒業・修了学年に達しない学生に対して、面接など実質的な選考活動を行うことは厳に慎む」と選考開始時期を規定する表記は存在したが、広報活動開始時期に関する明確な表記は存在していなかった。採用広報については年々前倒しで開始され、2000年代後半には各社のエントリーは「大学3年生の10月より開始」という流れが一般化されていた。

この大学3年生の秋に就職活動がスタートしてしまう状況への批判は強まり、2011年3月15日に経団連が発表した「倫理憲章」では広報活動開始時期に関する明確な提示がなされた。これによると「インターネット等を通じた不特定多数向けの情報発信以外の広報活動については、卒業・修了学年前年の12月1日以降に開始する。それより前は、大学が行う学内セミナー等への参加も自粛する」とされ、2013年卒学生より適用されることとなった。
また同時に発表された「採用選考に関する企業の倫理憲章の理解を深めるための参考資料」では「広報活動の実施に際して(中略)土日・祝日や平日の夕方開催など、学事日程に充分配慮することが求められる」「12月1日より前には学生の個人情報の取得や、それを活用した活動は一切行えない」等が記載されている。土日祝や平日夕方でのセミナー開催について言及は、学業の妨げにならないことに加え、学科・専攻により異なる授業や課題の量や大学所在地などにより有利・不利が発生しないよう学生への配慮が含まれている。なおこの改定された「倫理憲章」には765社の企業が賛同の意を示している(2012年7月26日時点)。

これに基づき12月1日スタートとなった2013年卒学生の就職活動であるが、実質的な選考開始時期がそれまでと変わらない4月1日からであったため、選考までの間に学生が企業と接触する機会は物理的に減少した。結果、学生の業界・企業研究不足がこれまで以上に生じ、採用基準に達しない学生の増加が課題として浮き彫りになった。またこうした課題に加え、「そもそも2ヶ月程度スタートを遅くしただけでは早期化是正の根本的解決には繋がらない」という意見も多く、この「倫理憲章」は僅か3年で幕を下すこととなった。

「大卒採用に関する取り決め」に基づく採用スケジュールの変遷

「大卒採用に関する取り決め」に基づく採用スケジュールの変遷

2013年秋/2016年卒学生より3月採用広報スタート、8月選考スタートへ

就職活動の早期化を是正し、「学業に費やせる時間の確保」や「海外留学がしやすい環境整備」などを行うため、2013年4月、安倍首相は前述のとおり「採用広報は大学3年生の3月から、そして採用選考は4年生の8月から開始に変更する」旨を経済団体に要請、米倉弘昌経団連会長は7月8日の記者会見においてこれの受け入れを表明、2016年卒生より実施していくこととなった。詳細は今秋に発表される予定だ。

こうして見ると、今年になって政府が早期化是正に向けて本腰を入れ、経済団体も動き出したと捉われそうだが、「採用広報は大学3年生の3月から、そして採用選考は4年生の8月から開始」に向けた議論は以前から行われていた。
大手商社を中心に構成される日本貿易会が人事委員会にて原案をまとめ、2010年11月17日に関係各所に提言した「新卒者の採用活動に関する基本的考え方」では、「採用に関する広報活動の開始は、学事日程に影響を及ぼさないよう、卒業・修了学年に入る前の春季休暇(2~3月頃)以降とする」「選考活動の開始時期は、学事日程に影響を及ぼさないよう、卒業・修了学年の夏季休暇(8月頃)以降とする」と表記され、既にこの時点で今回決まったスケジュール案が提言されている。
なお、日本貿易会が掲げたこのスケジュール改定は「2013年度入社対象の新卒者を対象とした採用活動から実施する」意向であったが、実際の2013年卒採用では前述のとおり採用広報2ヶ月後ろ倒しに留まるに過ぎなかった。
また、2011年1月21日には経済同友会が同様の採用スケジュールにすべきという意見を表明しており、こちらについては「2014年3月の卒業予定者を対象とした採用活動から実施する」としている。いずれにしても「採用広報は大学3年生の3月から、そして採用選考は4年生の8月から開始」という意見は以前から挙げられており、2016年卒採用よりようやく実施に向け動き出したと言うべきであろう。

ただ、弊社が2013年6月に企業及び団体の採用担当者を対象に実施・集計した「採用状況アンケート」では、この後ろ倒しに「賛同」「どちらかと言えば賛同」の合計が15.3%であるのに対し、「賛同できない」「どちらかと言えば賛同できない」の合計は56.3%に達している。採用スタートが後ろ倒しになっても学生の卒業タイミングは変わらないため採用に費やせる期間が減少し、他社とのバッティングが増加したり、採用したいと思える学生との接触機会の損失に繋がることを懸念し、採用現場では賛同し難い想いがあるようだ。

総論

大卒採用の歴史を振り返ると、「優秀な学生確保に向けた採用活動の早期化」→「早期化是正に向けた取り決めの策定」→「取り決めを破り、さらなる早期化へ」→・・・この繰り返しであると言える。これを踏まえると大幅な後ろ倒しとなる2016年卒採用についても、いずれ再度の早期化の懸念が拭えない。採用活動における大命題が「優秀な学生確保」であれば、学生の成長を図る上でも学業に専念できる時間の確保は必要であるし、学業以外にも社会や仕事を知るための環境整備が重要となる。東京大学は2013年7月26日に「2015年度末までに全学部で4学期制の導入」を発表、よりフレキシブルな学びの提供に力を注ぐ意向を示している。時代の流れがこれまでにない勢いで進む現在、「学びの現場」やさらには「採用現場」において、こうした学生の成長を促すための「変化」が求められる。

≪当レポート執筆に当たっての参考文献・調査≫

・野村正實『日本的雇用慣行 -全体像構築の試み-』(2007年)   

・森岡孝二『就職とは何か -〈まともな働き方〉の条件』(2011年)

・文部科学省『文部科学白書』

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